2023秋号「体内の小宇宙【大腸】」

数年前から「腸活」という言葉が一般的になっているように、数ある臓器の中でも関心を持つ人が多いであろう「大腸」。しかし、その役割や実は「第二の脳」であることなど、意外と知らないことも多いのでは。今回はそんな大腸について、医療法人厚生会理事長・厚生会クリニック院長の木戸口公一先生にお話しを伺いました。


ー本日はよろしくお願いいたします。いきなりテーマに関係ない話題で恐縮ですが、2023年5月8日に新型コロナウイルス感染症が5類(※1)に移行しましたね。


はい。ここ大阪でも、繁華街を眺めているとマスクの着用率はかなり下がっていると感じます。今はインバウンドの観光客も増えていますし、良くも悪くもこれは政府の意思決定であり、ひいては日本の社会全体が望んだことなのかもしれません。
ただ、現在沖縄県をはじめ全国で感染拡大は進んでいて(取材は7月頭)、状況を把握しようにも過去との比較が難しい観測方法になっています。このような状況下では意識して情報を拾い、対策を立てていく必要があるのです。
といっても、やることはこれまでと変わりません。手洗いや換気を続け、密となる場所ではマスクを着けるなど、自分にできる予防をしていただければと思います。

※1 新型コロナウイルスの5類感染症移行
感染症法の分類が「5類」に移行したことで、政府からの外出自粛の要請はなくなり、感染予防も個人の判断に委ねられることになった。また、医療費の自己負担が発生する、全国的な調査も「全数把握」から「定点把握」になるなど、いくつかの変化が見られた。


ー私も胸に刻んでまいります。さて、今回のテーマは大腸(※2)ということで、比較的馴染みのある臓器だと思います。


前号の脾臓に比べると、確かに身近な存在ではあります。ただ、大腸のことを単に食物を便に変えるだけの器官だと思ってはいないでしょうか。実は、大腸は「体内にありながら外界につながっている」ほか、人間の「第二の脳」でもあるのです。

※2 大腸の基礎データ
大腸は約1.5~2メートルの長さで、右下腹部から始まり、お腹をぐるっと回って肛門につながっている消化器官。


ーどちらも大腸のイメージとは異なるので驚きました。ひとつずつ教えてください。


では、まず前者からお話しします。人体の構造(図1)を見てもわかるとおり、大腸は食物が口腔から食道を通り、肛門から排出されるまでの消化器系の最後に位置しています。つまり、口から入ってきたものが行き着くところだということです。心臓や肝臓などとは違い、複雑怪奇で多様性に富んだ体外の世界とつねに接しているわけですね。
役割でいうと、胃や十二指腸で消化された食物をさらに分解し、栄養素を吸収するのが小腸。そして大腸は、残った残渣の水分やミネラルを吸収し、固形の便になるようにしています。ここで注目すべきなのは、腸内にはおよそ1,000種類、100兆個もの細菌が住んでいて、発酵により食物繊維などの未消化物を分解してくれるほか、人体にとってさまざまな機能を果たしてくれていることです。「腸内フローラ」という言葉を聞いたことはありますか?


ーあります!たしか、乳酸菌飲料の説明に書いてありました。


腸内フローラとは、腸の中に住んでいる細菌の集団のことです。その働きによって善玉菌・悪玉菌・日和見菌に区別され、バランスを取りながら存在しています。善玉菌はおっしゃった乳酸菌やビフィズス菌、酪酸菌などが代表で、悪玉菌は大腸菌やクロストリジウム(※3)などがあります。
腸には、食物以外にもウイルスや寄生虫(※4)、化学物質などいろいろなものがやってきます。それらから身を守るために腸内フローラが働いているほか、人体の約7割もの免疫細胞がここに集まっています。腸は、私たちの免疫力の源なのです。だから、ストレスや暴飲暴食など何らかの原因で腸内細菌のバランスが崩れると、免疫力が下がって健康被害が起きてしまうわけです。

※3 クロストリジウム
「クロストリジウムは一般的に悪玉菌とされていますが、特定の17種類のクロストリジウム菌が揃うと、免疫の暴走を抑えてくれるTreg細胞を生み出すことがわかっています。便移植療法でも用いられ、IBSに対する治療効果も認められています。善玉・悪玉というのはあくまで人間による一面的な見方にすぎないというわけですね」(木戸口先生の補足)

※4 寄生虫
「研修医時代に自然食が流行ったのですが、便をこやしにして育てた野菜を食べた夫婦が貧血になったということで、診察したことがありました。院長の指示で便を濾してみたところ、十二指腸虫(鉤虫)が出てきて、それが原因だとわかったんです。今はクリーンな世の中なので寄生虫もほぼ見ませんが、先日逝去された藤田紘一郎先生もおっしゃるように、異物と接する機会が減ったのでアトピーや喘息が増えたという側面もあるかと思います」(木戸口先生の補足)


ー「第二の脳」とおっしゃっていたのは、どういうことなのでしょうか。


実は、腸には免疫細胞だけではなく神経細胞もたくさん集まっています。その数はおよそ1億個で、なんと脳の次に多いのです。面白いのが、腸には「腸管神経系」という独自のネットワークがあって、いわば独立国家として存在しています。
腸は外界から身を守り、消化・吸収・排泄に至る大事な役割を果たすため、脳からの司令を受けることなく自分で判断して柔軟に動くことができます。
これは良いことでもあり悪いことでもあって、皆さんもおそらく経験があると思いますが、脳がいくら命令しても腸が言うことを聞いてくれないことはありますよね。


ーはい…。電車で便意を我慢しているときなどは「なんで命令に従わないのか」と思うことがあります。


しかしながら、脳と腸は決してお互いに関与しないというわけではありません。むしろ逆で、精神的なストレスが脳から発信されると腸が不調となり、腸のバランスが崩れるとメンタルに悪影響を及ぼすというように、密接に関係しているんです。これを「脳腸相関」といいます。
腹痛や便の異常が長期間続く過敏性腸症候群(IBS)という病気がありますが、これもストレスが原因のひとつだとされています。脳の信号が腸に伝わり、腸の蠕動運動が異常に亢進することで意図せず下痢が起こるので、思うような行動ができず生活の質が落ちてしまうのですね(※5)

※5 IBSについて
「私も、電車に乗っていて特定の区間で必ず便意を催したという経験があります。消化器内科ではなく心療内科で診察するケースも多いですが、原因は複雑に絡み合っているので、薬でコントロールしながら何とかやりくりするというのが現状です」(木戸口先生の補足)


ーなるほど。ここからは、大腸に関連する疾患についてお話を伺いたいです。先程のIBSもそのひとつですが、他にはどのようなものがありますか?


代表的な腸の病気としては、腸内で起きるさまざまな炎症が挙げられます。誰もが知っている”盲腸(炎)”もそのひとつで、正式名称「虫垂炎」の名前のとおり、盲腸から垂れ下がっている虫垂という部位の炎症で、強い腹痛をもたらします。

また、大腸の壁にある袋状のへこみである憩室で起きる「憩室炎」も、人によっては繰り返し発生し、進行すると腹膜炎にもなりかねないので、甘く見てはいけません。バリウムを使った検査で増悪するケースもあるため、既往歴のある方はぜひ健診前に伝えていただきたいです。
なお、もちろん注意は必要ですが、ここまではまだ重篤でない部類の病気です。それと比較して、一般的にIBD(表1)と呼ばれる「潰瘍性大腸炎」および「クローン病」は、明確な原因がまだわかっていない難病です。

ーIBDはどのような特徴があるのでしょうか。


どちらも炎症ではあるのですが、原因不明かつ慢性的に潰瘍やただれが消化管粘膜にできてしまうのが厄介な点です。病変が大腸だと潰瘍性大腸炎、口から肛門までの消化管全域だとクローン病という分類となります。
現在、潰瘍性大腸炎に関しては研究がかなり進んでいて、2021年の京都大学の発表によると、患者の90%が持っている自己抗体(抗インテグリンαvβ 6)が発見されました。これにより、病態を解き明かし治療方法が確立される見通しが立ったといえそうです(※6)。
新型コロナウイルスのワクチンもそうですが、近年は原因物質さえわかれば、自己抗体の働きを抑える薬(抗体医薬品)がものすごいスピードで完成する時代です。もちろん開発後は治験の結果を待たなければなりませんが、創薬が迅速化したことで、これまで難病とされてきた病気も寛解に至るケースは今後増えていくと思います。

※6 潰瘍性大腸炎の治療法
この研究成果をもとに2022年10月に設立されたベンチャー企業であるLink The rapeutics株式会社が、治療薬の開発を進めている。


ー医学の進歩は目覚ましいのですね!別の疾患として、大腸がんについてお聞きしたいです。


大腸がんは、いまや「日本人に最も多いがん」という位置づけとなっています。2019年に新たにがんと診断された約100万例の中で最も多いのが大腸がんで、その罹患者数はおよそ16万人にのぼります。死亡数も女性が1位、男性が2位と、非常にリスクも高いです(※7)。
大腸がんの早期発見のために、われわれ健診機関で実施できるスクリーニングとしては「便潜血検査」があります。どんな検査かわかりますか?

※7 大腸がんのデータ
罹患者数・死亡数は国立がん研究センターがん情報サービス「がん統計」(全国がん登録)による。


ーこれまで受けたことがないのですが、字面から想像すると、便に血が混じっているか観察するのでしょうか。


肉眼で見て明らかに出血しているようだと、それはもう危険ですね。血の色が鮮やかなときは、直腸かS状結腸あたりの傷が原因であることが多いですが、黒みがかかっていると大腸もしくは胃・十二指腸などで出血が起きている可能性があり、早急に対応しなければなりません。
便潜血検査ではパッと見て血便かどうかを判断するのではなく、便の中のヘモグロビンに対する抗体反応を用いることで(※8)、肉眼ではまったくわからない大腸での微量出血病変を検出することができます。1回だけだと確度が低いので、2日分に分けておこなう2回法が推奨されています。
陽性だった場合、潰瘍やポリープができている可能性があるほか、大腸がんの疑いも出てきます。できればすぐに大腸内視鏡などの精密検査(表2)を受けてほしいです。

※8 便潜血検査のこぼれ話
「かなり昔は鉄分の反応を調べていたので、事前に「ビフテキを食べないでくださいね」とお願いすることもありました(笑)」(木戸口先生の補足)

ー少し話題が変わりますが、大腸に良い食習慣を心がける場合、どんなメニューにすればよいでしょうか。


やはり和食ですね。精進料理を毎日食べるというわけにもいかないと思いますが、基本的には食物繊維を多く摂ることをおすすめしたいです。加工肉など高脂質・高蛋白なものが中心の欧米スタイルの食生活だと、腸内細菌のバランスが崩れがちになりますし、大腸がんなどさまざまな病気のリスクを高めるとされています。
すぐライフスタイルを変えるのが難しい場合、サプリメントで足りない分を補うことから始めてもよいでしょう。あわせて、プロバイオティクスとプレバイオティクス(※9)という考え方がありますが、できるだけ腸内の環境を整える食品をとるようにしていただきたいですね。

※9 プロバイオティクスとプレバイオティクス
プロバイオティクスは、ヨーグルトや納豆などの発酵食品を食べてビフィズス菌や乳酸菌などの善玉菌を直接摂取すること。プレバイオティクスは、果物や野菜、キノコなど食物繊維・オリゴ糖が多く含まれるものを食べて、善玉菌の増殖を促すこと。


ー腸内環境の良い悪いを判断する方法はありますか?


ダイレクトかつ一番わかりやすいのは、毎日の便をチェック(図2)することです。ずっと便秘が続いている、逆に下痢が続いているなど明らかな異常だけでなく、硬さやにおいなども気にするようにしてください。
便の状態の変化に敏感になれば「昨日はこんな食事だったからバランスが崩れている」など、生活習慣を改善していけるはずです。また、当会でもオプション検査で腸内フローラを調べることができますので、気になる方はぜひ受診してほしいですね。


ー最後に、皆様にメッセージをお願いいたします。


犬や猫がお腹を上にして寝転がるのは「本当に安心している」というサインです。これは腹部が急所にあたるからこそそう判断できるわけですが、人間にとっても腹部、大腸にあたる箇所はすごく大事なのです。
本日いろいろとお話ししたように、大腸は免疫系、神経系の両方のシステムにおいて最重要と言っていい位置を占めており、なおかつ非常に複雑な要素が絡み合う「体内の小宇宙」です。将来的に、私たちが健康な生活を送る上でもっともクローズアップされると思います。
だからこそ、「今の自分の腸内はどんなふうになっているんだろう」と興味を持つところから始めてほしいですね。寝る前にお腹をさすって「今日もありがとう」と一声かければ、明日は快便かもしれませんよ。