2024春号「リスクはピロリ菌 だけじゃない!知っていたわる(胃)」

「年末年始食べすぎちゃって…」という人だけでなく、多くの方が馴染みのある器官が「胃」ではないでしょうか。

しかし、その優れた機能や、食物が胃にたどり着くまでのいろいろな道のりなど、まだまだ知らないことは多いはず。
今回は口内から食道、そして胃に至る上部消化管全体のトピックについて、医療法人厚生会理事長・厚生会クリニック院長の木戸口公一先生にお話しを伺いました。


ー新年を迎えましたが、手放しで喜ぶ気持ちになれない状況ですね(取材は2024年1月上旬に実施)。

そうですね。まず、能登半島地震および羽田空港の衝突事故で被害に遭われた皆様に、心からお見舞い申し上げます。

本当に痛ましい出来事ですが、それでも私が感じたのは人々の教訓に学ぶ姿勢と冷静さです。東日本大震災のことを思い出してすぐに高台に避難した、パニック状態になりかねない中で飛行機から順々に脱出できたなど、その行動に私たちの国民性が表れているのではないかと思います。


ーなるほど。ご自身の身を守るための行動という点では、健康に関する知識を得ることにもつながってくるかと思いますので、さっそく本題に入らせてください。今回は何についてお話いただけますか?


前回が五臓六腑の「大腸」がテーマだったので、今回はその手前にある「胃」です。ただ、プロセスの初めから知ったほうが具体的にイメージしやすいので、食べ物を口にするところからお話しましょうか。

突然ですが、人間が「味」を感じるのはどうしてだと思いますか?


ー考えたこともなかったです。身体に必要なものかどうか見分けるためでしょうか。


それも大事な役割です。ミネラルを摂取したければ塩味のもの、エネルギーが必要なら甘いものというように、人間が活動するために必須となる栄養が含まれる食物は、美味しく感じられるというわけですね。

もうひとつの重要な役割は、単純に危険を避けるためです。一例としてアルカロイド(※1)は苦く感じますが、自然界にあるアルカロイドの多くは有毒なものなので、思わず吐き出してしまうよう、センサーである味蕾が反応してくれています。

※1 アルカロイド
植物由来の有毒成分で、じゃがいもの芽に含まれるソラニンもこのひとつ。ただ、ほろ苦さが美味しい春野菜やコーヒー・紅茶にも含まれるので、程度によっては味覚のアクセントになり得る。

ー苦いもの、辛いものに対して拒否反応が出るのは当たり前のことなのですね。

実は、辛みに関しては面白い研究結果があります。2021年にノーベル賞を受賞したテーマは「温度と触覚の受容体の発見(※2)」というもので、この中でトウガラシの辛み成分であるカプサイシンが重要になってくるのです。
すごく辛い料理を食べると、甘みや旨みのような味わいではなく「熱い」「痛い」と感じますようね。これは、決して勘違いではありません。カプサイシンで反応する受容体は熱にも反応していて、それが強くなると、熱湯に触れたときのような痛みにもつながります。
私も料理にタバスコをよくかけますが、このときに感じる美味しさは、味だけではなく「適度な痛み」と呼べるのかもしれません。

※2 「温度と触覚の受容体の発見」
デビット・ジュリアス博士(カリフォルニア大学)とアーデム・パタポウティアン博士(ハワード・ヒューズ医学研究所)の研究で、2021年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。カプサイシンに反応する受容体「TRPV1」、機械的刺激を検出する受容体「Piezo1」「Piezo2」を発見することで、複雑な身体の仕組みがまたひとつ解き明かされた。


ー軽度なものであればいろいろな刺激を楽しむことができるのが人体の不思議ですね。口内で起きていることで、他に重要なトピックはあるでしょうか。


見落としがちなのは唾液の存在です。1日に1.5ℓ分泌される唾液にはアミラーゼという消化酵素が入っているので、咀嚼しながら食物と混ぜ合わせることで炭水化物を分解する役割があります。
また、他にもいろいろな働き(※3)をしてくれていて、抗菌作用もそのひとつです。夜間は唾液の分泌がほとんどなくなり、朝一番は口内に菌が繁殖しているので、ハリウッド映画のように起きぬけにキスするのはやめたほうがよいでしょう。

※3 唾液の働き
抗菌作用のほかにも、食べかすを洗い流す、酸性に傾いた口内の中和、発声しやすくするなど重要な機能がある。


ー肝に銘じます。唾液の助けを借りて、いよいよ食べ物を嚥下するわけですが、胃の中に入ると…


ちょっと待ってください。口腔からすぐに胃にたどり着くわけではなく、その途中には咽頭(※4)や食道、消化管からは分岐しますが喉頭があるのを忘れてはいけません(図1)。

普段食事をしていて、なぜ飲み込んだものが気管のほうに入っていかないかというと、咽頭および食道周辺の筋肉の動きと対応して咽頭蓋が閉じることで、間違いなく食物を食道に流し込むためです。

ところが、加齢などの理由で一連の機能が低下すると、気管に入りかけてむせたり、ときには異物(細菌)が肺にまで達することにより誤嚥性肺炎になってしまうおそれがあります。特に高齢者にとっては警戒すべき病気なので、食事のメニューや姿勢を改善する、口腔ケアを欠かさないなど予防が必要になります。

※4 咽頭の疾患
「少しテーマとは離れるのですが、最近は中咽頭がんが増えてきていて、その原因は子宮頚がんを引き起こすHPV(ヒトパピローマウイルス)であることが多いのです。まだ詳細な統計は出ていないと思いますが、口腔を用いた性的接触も危険因子となるので、注意する必要があります」(木戸口先生の補足)


ーものを飲み込むときにそんな複雑な動きがあったのですね。食道はいかがですか?喉と胃のあいだの単なるパイプというイメージなのですが。


確かに、食道の主な役割は筋肉の蠕動で食物を胃へと送ることで、一見単純に映るかもしれません。ただ、食道で起きる疾患は多くの人を悩ませているのです。
代表的なものは「胃食道逆流症」で、一般的には逆流性食道炎と呼ばれることが多いですね。食道の終わり、胃の入口の部分には「噴門」というゲートがあって、通常の場合は括約筋が収縮しているので、逆流しないようになっています。しかし、さまざまな理由で胃酸が逆流してしまうと、胃壁と違って守られていない食道の粘膜が炎症を起こし、胸やけなどの症状が出ます。


ー原因としてはどういったものが多いですか?


加齢で括約筋が緩んでしまうほか、暴飲暴食やストレスなどの生活習慣の乱れ(※5)で胃酸が大量に分泌されて起きることも多いです。さらに、注意すべきなのは肥満の人です。いわゆるメタボ体型の場合、胸部X線を撮影して画像を見ると腹部内臓脂肪が横隔膜を下から圧迫していて、胃の中の圧力が高まることで逆流しやすい状況になっていることもしばしばありますね。こういった方は、実は咽頭にまで炎症が広がることで咳等の症状が長引くことがあって、「先生、胃酸を抑える薬をもらったら咳が出なくなりました!」という声も何度も聞いています。
もう1点、お伝えしたいのが「バレット食道」です。これは、食道の粘膜が長期にわたって逆流した胃酸などの刺激を受けることで慢性的な炎症を起こし、細胞が変化してしまうことを指します。食道がんのリスクが大幅に高まるとされているため、こうなる前に胃食道逆流症を治療していく必要があるのです。

※5 胃食道逆流症を招く生活習慣
「石がGERD(ガード)と呼ぶ胃食道逆流症は、ここ数十年で胃酸が出やすい食生活に変化していることもあり、悩みを持つ人が増えています。お肉など、動物性タンパク質や脂質の多い食材を控えめにする、食事後すぐに横にならないなどの対策が必要です。」(木戸口先生の補足)


ー食道がんを防ぐためには、どんなことに気をつければよいのでしょうか。


やはり、飲酒や喫煙は高リスクです。どちらもさまざまな疾患と関連しますが、食道に刺激を与え続けることで慢性的な炎症を起こすので、食道がんの予防という観点からもぜひ控えていただきたいです。ちなみに、原因によって食道がんが発生しやすい部位(図2)は異なります。

ーわかりました。次に、いよいよ胃についてお話いただければと思います。胃は食べ物を溶かす器官ですよね?


シンプルに捉えるとそうなりますね。胃は消化管で最大の臓器で、空腹時はペチャンコで50㎖程度の容積しかありませんが、満杯に詰め込むと約2ℓにも膨らみます。
1回の食事で0.5から0.7ℓほど分泌される胃液(胃酸)は、強い塩酸とタンパク質を分解する酵素「ペプシン」などでできていて、運ばれてきた食べ物を溶かして分解することで、腸で栄養を吸収しやすいように準備しているわけです。
あとは、大量に腸に食物を送り込んでも消化しきれないので、徐々に流していくために蓄えておくことも重要な役割ですね。


ー先ほど、食道の粘膜が逆流した胃酸で炎症を起こすケースがありましたが、胃の粘膜では同じことは起きないのですか?


はい。胃の粘膜は粘液を分泌することで、胃酸に対する防御機構をつくっています。また、粘膜自体の再生能力が高いので、少し荒れたくらいだと基本的にはすぐに回復するのです。もちろん、それを過信するのはダメですよ。食生活の乱れやストレスなどでバランスが崩れると、胃酸の過剰分泌などで粘膜が防御しきれず傷つき、胃の炎症による腹痛、さらには胃潰瘍にまで進行してしまうことにもなりかねません。


ーわかりました。胃に関連した事柄でいうと、近年「ピロリ菌」の存在が多くの方に知られるようになったと思うのですが、除菌したほうがよいということしかわかりません。


ピロリ菌、正式名称「ヘリコバクター・ピロリ」は、おっしゃるように昔から知られていたわけではありません。ピロリ菌が発見されたのは1982年と比較的最近で、この研究者もノーベル賞を受賞しています。(※6)。
簡単に説明すると、ピロリ菌は除菌しなければ高い確率で慢性的な胃炎を引き起こし、ひいては胃潰瘍や十二指腸潰瘍、そして胃がんのリスクを高めてしまう細菌です。強い酸性にある胃の中で生き残れるのは、自らの酵素でアンモニアを作り出して胃酸を中和するという特性を持っているからです。
感染経路としては井戸や水や土壌などが考えられ、そこまで衛生環境が良くなかった時代で育ってきた50~60歳以上の方の感染率が高いですね。若い世代の感染率は高くないものの、親兄弟から感染することも考えられるので、必ず安心というわけではありません。

※6 ピロリ菌の発見
ピロリ菌を発見したのはオーストラリアの医師バリー・マーシャルとロビン・ウォレンで、医師自らピロリ菌培養液を飲むことで胃炎となり、研究が正しいことを証明した。二人は2005年にノーベル賞を受賞している。


ーピロリ菌がいるのかいないのか、どうやって検査すればよいのですか。また、すぐに除菌できるものなのでしょうか。


もし自覚症状があったり、そうでなくても不健康な生活習慣なので不安がある、家族歴があるのでしっかりと診てもらいたいというのであれば、内視鏡検査(表1)を受けてみることをおすすめします。消化器の状態を映像で確認できるほか、胃の組織を採取することでピロリ菌の有無を診断します。

もう少し気軽に検査をするのであれば、呼気や血液を使う方法もあります。特に血液検査は、ピロリ菌の陰性・陽性に加えて血中のペプシノゲンの数値から胃粘膜の萎縮度を測るABC検診(表2)で、胃がんのリスクをチェックすることもできます。
ただし、ABC検診は「リスク」を判断するもので、「胃がんの有無」を調べるものでないことはきちんと認識しておく必要があるでしょう。
もしこれらの検査でピロリ菌が見つかった場合、1週間3種類の薬物治療でほぼ除菌は完了しますので、過度に心配しなくてもよいと思います。

ー意外とすぐに除菌できるのですね…。安心しました。ピロリ菌がなくなれば、胃がんのリスクは下がると考えていいですよね。


リスクは下がりますが、「これで胃がんにならない」という思い込みは避けるべきです。たとえば、ピロリ菌が原因の胃炎はB型胃炎と呼ばれますが、それとは別に自己免疫性胃炎である「A型胃炎(※7)」から胃がんになるケースもあります。
付け加えると、胃がんの中には「スキルス胃がん」という種類があって、これは胃壁の内側から外側に硬く厚くなりながら広がるため発見しづらく進行も速いので、治療が難しいケースも多いです。胃がんは大腸がんや肺がんに比べると罹患数は少ないものの、危険であることは変わりありません。

※7 A型胃炎
A型胃炎は自己免疫性胃炎のことで、ピロリ菌が原因の場合はB型胃炎と呼ばれる。ビタミンB12の吸収が不足するので貧血などの症状が出ることもある。


ー最後に、読者の皆様にメッセージをお願いいたします。


今日は2つのノーベル賞の話をしましたが、これだけサイエンスが発展しても、まだまだ人体は未知の部分が多いです。だからこそ、身体が語りかけてくる声にちゃんと耳を傾けた上で、適切に行動する必要があるのですね。それは常日頃体調に気をつけることだったり、健診を毎年受けることだったり、結果が「要精密検査」だったらすぐに受診することだったりします。

そうやって健康をキープしているなら、たまには珍味など変わったものを食べて、味覚の幅を広げてみてもよいと思います。ヘルシーな食生活を貫く強い心と、そして少しの遊び心を忘れずに、今年も健やかに暮らしていきましょう。